革命的悪文日記

ネコに飼われている学生が悪文で色々書いています

インドのお菓子 グラブジャムン

インドのお菓子グラブジャムン(Gulab Jamun)を買ってみました!

先日、隣町のインド人向けの小さな店に意を決して初めて入ってみました。
そこでグラブジャムンとラスグッラ(Rasgulla)を見つけ、どちらを買おうか悩み、
店番していた中東系(ここツッコミどころなんですけど)のおじさんに聞いてみたら

「アー、コレネ。コッチスキ」

というお前の主観かーいといったところでグラブジャムンを買ってみました。


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グラブジャムンとは
コア1kgに対し、小麦粉100gと砂糖水2kgを混ぜ、直径3cmほどの球状に成形する。油で揚げ、最後に砂糖水に漬ける。
西アジアには、コアなどの乳製品を使わず小麦粉だけで作る同様の菓子がある。(Wikipediaより)
という甘いお菓子らしいです。

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小麦粉と砂糖水を混ぜて揚げたものを
さらに砂糖水につけるという
製法からして大変甘そうなお菓子です。

この缶詰のグラブジャムンにはカルダモンが含まれているみたいです。

上のコアとは、インド・イスラーム圏でよく見られる濃縮乳(牛乳をひたすら火にかけて水分を飛ばしてチーズのようになったもの)のことです。


開けてみた
とにもかくにも缶詰なので開けてみないことには何も始まらないということで開けてみました。

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砂糖が凝固している・・・
それほどまでに砂糖を使っているのか・・・


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出してみた。
なんか果物のシロップ漬けみたいですね。

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包丁で切ってみた。

上の取り出した写真と比べてみると分かるのですが、
切った時にシロップが漏れ出して広がっています。



食べてみる
とりあえず一個食べてみます。




























「あま~~~い」

並大抵の甘さじゃないです。
日本の食べ物でここまで口の中を甘々と稲妻にしようと思うなら
あんこをひたすら食べ続けるくらいしないと不可能なレベルで甘いです。

シロップがしみ込んでいるので口の中で甘さがさらに追い打ちをかけてきます。

幸いカルダモンが最後に効いて甘さを中和してくれますが、
それでも甘い。




甘すぎてこれだけを食べ続けるのは無理だと判断したので、
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急遽ウインナーにエスビーのタンドリーチキンの粉をかけて一緒に食べてみました。

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「あーなんか中和された感じする。」

カレーと食べてイイ感じに中和されます。
さすがインドのお菓子。味付けの中心にカレーがある。


それでも消費(1缶1kg入)しきれないので、
ヨーグルトにシロップごと入れてみました。

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見た目はあまりよろしくないですが、なかなかいけます。
味のイメージ的にはラッシーのような感じです。




生まれて初めてグラブジャムンを食べてみましたが、
これはインド料理屋でカレーを食べた後に頼むべきだと学びました。


決して1kgもある缶詰を買うべきではない。





・・・と思ったが、amazonでも見つけたのでリンクは貼っておこう。







SD to CF変換

CFカードについて
皆さんCFカードってご存知ですか?

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こういうやつです。
銀色のところにiPhoneが反射していますが気にしないでください。

コンパクトフラッシュ(CompactFlash, CF)は、小型カード型インタフェース、およびその規格による拡張カードフラッシュメモリメモリーカードとして、ATAフラッシュメモリ、もしくはパラレルATA接続で使われる事が多い。 wikipediaより

さっぱりですね。
お前は何を言っているんだって感じです。



SDカードとの比較
SDカードのサイズと比較してみます。

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サイズ感が分からないので下に定規を置いてみます。

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重ねてみます。

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うーん。大きい。

普通のPCでは今CFカードに対応できるものが少ないのではないでしょうか。
かく言う自分のPCもSDカードにしか対応しておりません。



変換アダプターの購入
祖父の遺品のカメラ[Canon EOS KISS Digital X]を使ったときに
画像取り込みの手間があるので変換アダプターを購入しました。

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今まではPCをプリンター[EPSON EP-774A]に接続して、
プリンターのほうにCFカードを入れて……

という風にして画像取り込みをしていましたが、
変換アダプターを使用することでSDカードを利用できるようになり楽になりました。



使ってみた
そんなわけで、さっき使ってみた時の画像を一枚

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あくびをした時のちろ子です。
"ガンバの冒険"のノロイみたいな顔になってますね。



写真上手くなりたいです。

労働搾取についての草稿的なサムシング①

労働搾取について
現在私たちが生きているのは資本主義、修正資本主義社会である。

資本主義社会では、出資者(資本家)が資本(元手)によって労働者を雇い、
労働者が生産した労働生産物の売り上げの一部を資本家が受け取る。

資本家の給与=労働生産物の売上-労働者の賃金-設備費用
すなわち、
労働者の賃金=労働生産物の売上-設備費用-資本家の給与
である。

設備費用は労働生産物を生産するために必要な道具である。



労働生産物≒商品の値段について
労働生産物の売上=商品の値段=労働者の賃金+設備費用


資本家の給与がある分値段が高くなるのではないか?

“万国のプロレタリア団結せよ!”

“万国のプロレタリア団結せよ!”

“万国のプロレタリア団結せよ!”(Karl Marx,Friedrich Engels,1848,大内兵衛向坂逸郎訳,1951,岩波文庫)はマルクス・エンゲルスが1848年に書いた『共産党宣言』の締めの言葉です。訳によっては“万国の労働者団結せよ”だったりします。
この言葉は出版から170年、ソ連が消滅し、社会主義キューバがアメリカと国交を回復させた現代2018年にも通じる言葉であると思います。


共産党宣言』とは?

そもそも『共産党宣言』とはマルクス主義共産党の行動の基盤となる綱領として出版され「支配階級を強い力で転覆させて俺たちが支配のない新しい社会を作ろうぜ!」といった旨の書籍なのですが、それまで宣言の中で暴力路線も辞さなかったマルクスらは締めの言葉で闘争や暴力を謳うことなく“団結”という言葉を使いました。“団結”というのは電車で隣になった人に対して「今日も共に頑張ろう」と言い手を差し出すなどという愛のある行動です。これはすぐにでも行動に移せる言葉であり、武器や気概を持っていないと行えない暴力とは異なりおおよそすべてのプロレタリア(自らの労働力を資本家に売って生活する賃金労働者)階級にとって実行可能な行動規範です。

このように、極めて革新的な綱領『共産党宣言』の終わりはプロレタリア同士による愛によって締められています。この言葉は現代に蘇るべきであるマルクスらの教えです。



労働搾取の問題

最近(今に始まった話ではありませんが)はコンビニ店員に対する態度の悪さが自分は気になります。自分もアルバイトで接客をしていると、相手側はかなり横柄に出てきて、ほかの客とは異なる特別待遇を望む人がいます。そういう人は客とは呼ばず、自己利益最優先の“資本家の兄弟”のような人間であると考えています。コンビニ店員やそれに類するサービス業に従事する労働者に対して、チップなどの賃金を支払わず無理強いや無茶な要求、過大な要求を行うことは、労働を搾取する行為であって、自らの利益を最優先し、利益をより大きなものとしようとする資本家の真似をした労働者です。労働者が労働者を搾取している構図です。本来、マルクス主義が目指した社会主義とは、搾取のない世界、つまりゲバラの言う『人間の人間による搾取の撤廃』を作りあげることです。これは資本家の労働者への搾取だけでなく、労働者の労働者への搾取も含まれ、あらゆる搾取を根絶することがマルクス主義の理想でした。しかし実際にはどうでしょう。

「コーヒー手渡しやってる暇ない」コンビニ人手不足で店員の仕事量増加、やりがいも乏しく 

この記事のタイトルでは、「仕事量の多さ」、「やりがいのなさ」が問題として出されていますが、本文中にはこのようなことが書かれています。
ベテランの藤田さんの店では、イヤホンつけたまま、電話しながら、レジに並ぶ客も少なくないという。「単に、モラルが下がっているだけかもしれませんが、利便性・効率性を追求した結果、コンビニ店員は『誰でもできる仕事』となり、そして『雑にあつかっていい存在』と、軽くあつかわれていると思います」(藤田さん)

「誰にでもできる仕事」であったら雑に扱うものなのでしょうか。自分はこの考え方を否定します。


「誰にでもできる仕事」とは

そもそもこの世には「誰にもできない仕事」はあったとしても、「彼にしかできない仕事」というのはデザイナーや音楽家などのごくごく限られた職業にのみしか存在せず、おおよその労働者は代替可能な存在です。もし代替不可能な存在であれば、古くからある企業が継続して経営していくことや、職場内での労働者の世代交代が行われないということになります。これらのことが行われているからこそ結局は労働者は代替可能な機械の部品のような存在であり、「誰にでもできる仕事」というのは職業全般に言えることであり、誰かの労働によって生活が成り立っている社会において雑に扱ってもいいという理由にはならないと思います。


それはモラルの低下なのか?

また、本文中ではイヤホンなどを付けたままレジに来る行為を“モラルの低下”と言っていますが、これは相手への敬意の喪失であり、相手への適切なリターンを与えない搾取の一部であると考えます。敬意とは一般に目上の人間に対して払われるものでありますが、これは生活が誰かの労働によって成り立つ社会においては、あらゆる労働に従事する人々に対して払われるべきであると思います。



そこで共産党宣言に立ち返る

そこでこの記事のタイトル『万国のプロレタリア団結せよ!』を思い出してください。労働者同士が愛をもって手を取り合う。つまり労働者同士が対等な存在となり、互いにリスペクトし合う……そんな誰もが幸せに、楽になれる社会を作りたい、作るべきであるとは思いませんか?


マルクスの言葉は現代日本にも生きていて、実践するべき言葉です。





人気ブロガーになってみたいな

最近就活の移動中に人気ブログのチェックをしているごりゃーときんです。

人気のブログとこのブログの何が違うって更新頻度とデザインですよね。


   人気ブログの見出しについて

人気ブログってこんな感じで章ごとに見出しを付けて読みやすくしていますね。

デフォルトで付いてる機能(太字、文字の大きさ、文字色、下線、蛍光マーカー)を使っただけでそれっぽくなりました。


 ・人気ブログ的文字のアクセントについて

人気ブログでは、文字のアクセントに気を使っているように思いました。

こんな風に人気ブログは内容ももちろんのこと読み手が読みやすいようにデザイン面でも努力しているんですね。デザインセンス・HTMLの知識が皆無なのでデフォルトのものを使うのにもヒィヒィ言ってます。


 ・人気ブログ的改行について

人気ブログでは長い文章

だらだらだら~~

と書くだけではなく、

こんな感じに
過度ともいえるレベルで

改行を行っています


そして文字列も

中央

寄せたりなどしていたのもありました。



携帯小説とかが流行った時代のHPも

こんな感じに寄せていたような気がします。




文章書くのも一年くらいやってて全然上達しないのに、こんなこと気にしてどうするんだって話ですけどね~

アルマーニ小学校について

アルマーニ小学校(仮)の問題は森友とか加計学園の問題よりも取り上げるべき話題であると思っているごりゃーときんです。

公立小「アルマーニデザインの標準服」を導入 校長の独断、全部で9万、親から批判も
というニュースが世間を騒がせております。

というわけで関係者に突撃してきました。
たまたまバイト先にアルマーニ小学校の非常勤の方がいらっしゃって、色々と話を伺えたのですが、曰く、
アルマーニであるから叩かれた
・PTAとのすり合わせなしの独断に近い
・校長も定年後の再任であるから叩かれたのでは?
という趣旨のものでした。

一つ目の“アルマーニであるから”というのは、その人の話(自分もまだ情報ソースに当たったわけではないです)では、その地域(中央区)の小学校では多くが標準服(制服)を採用していて、ほかの学校と比べて別段値段が高いというわけではなく、ブランド名が付いたために叩かれたのではないか? という話でした。
確かにブランド名は叩きやすく、他人の贅沢を許せないというメンタリティーには訴えやすいと思います。また、ブレザーなどですと公立中学校でも制服の購入のためにその位の値段帯になることもあります。もしこの点を問題にするというのであれば、ほかの公立系の学校の制服も問題となるべきであり、貧困にも目を向けられるべきでありますし、早急な対策が打たれるべきであるとも思います。
確かに同じ服を何日着ていても違和感を持たれない制服で貧困を隠せるという側面もあると思いますが、それは根本の解決にはなっておらず、臭いものに蓋をしたにすぎません。そして、本来あらゆる人間が教育を受ける権利を持つとして制定された憲法にも関わらず、金銭的な負担によって教育を受けられないというのはあってはならないものであり、真に解決するべきは貧困家庭の救済であり、貧困の撲滅です。そういう点では公立小中(高)校の標準服や制服は貧困を覆い隠し、不可視化してしまう点において唾棄されるべき慣例であると自分は考えます。

二つ目の“校長の独断”というのも問題でして、基本的に公の物事の決定には市民の同意を得る必要があり、そこを独断での決定というのは民主主義に対する問題であると自分も思います。

三つ目は自分的には思ってもみない「うーん」と唸らせられるタイプの指摘でした。やっぱり働き方改革だとか労働者人口を増やそうとしている時代でも再任雇用の人は叩かれやすいのですかね? というかそもそもの話、再任雇用って叩かれるようなことなのですか……?


そんなことを考えてみる土曜日でした。
プレビューや公開ページから見ると文字が結構小さいんですね……また他の長文でも読みやすいデザインを試してみたいと思います。
それではまた。

AIによって奪われない仕事とは?

就活真っ只中です。
大学の就職課からは「AIによって奪われない仕事を選びましょう」という説明を受けました。
ここで指す「仕事」がアーレントの言うlabor [労働]なのかwork [仕事]にもよる気が(自己実現の仕事と生きるための労働を混同して使用している?)しますが、“奪う”という表現は不適切であると思いました。
確かにAIは人間の労働を楽にし、余暇を充実させるために開発されたという側面があると思います。しかしながら今は機械が中心となって単純作業などができる性能に向上したにも関わらず、人間が労働し、AIのほうが碁や将棋を打つなど文化的な生活を過ごしており、この状態が続くのであれば、労働はAIに取って代わられるなどという近未来ヴィジョンは夢のまた夢なのだろうなぁと思います。