兵站について
兵站(Militaly logistics)とは、軍隊の戦闘機能を維持、増進させる諸機能であり、補給、輸送、通信、衛生、人事などの機能を持つ。
軍隊は国家の暴力装置として戦う戦闘組織であるが、戦うためには多くの必要事項がある。使用した銃弾は補給する必要があり、兵士を飢えさせないためにも水や食料などの補給が必要となる。さらに壊れた武器は直す必要があり、負傷した兵士を治療、後送する必要や、軍隊内での治安を守らせる必要や交通統制などを行う必要がある。これらを総称して後方支援(Combat Service Support)と呼ばれる。後方支援より更に広くそれら機能を指揮・運用する機関や施設、技術などを含めて兵站とされる。
歴史的にみれば、有史以来戦争は常に補給が必要とはされていたが、20世紀以前の前近代の戦争では補給の能力が軍の作戦運用能力を左右するものではなかった。制度としては17世紀にル・テリエによって軍需品倉庫と輸送部隊の補給制度が創設された。当時の戦争は君主と君主の争いであり、どちらかが譲歩するまで軍隊を敵領土内で軍隊を駐屯させ、略奪や徴発などで敵を揺さぶるものであった。そのため軍需品倉庫は最初に軍隊を送り込むためのものであり、それ以降の兵士の維持は現地での徴発や略奪に依存しており、輸送手段も現地徴発が主とされていた。
19世紀初頭、ナポレオンは陸軍に常備の兵站部が設けられた。これは17世紀の30年戦争で戦域が荒廃し、1万人以上の兵士を現地で養うことが不可能となったことと、陸軍規模が10万人を超えたため組織的な補給能力を持つ必要が生じたためであった。しかしナポレオンは戦争前に補給準備をほとんど行わず、現地徴発を行うことで最小限の補給のみで各地で勝利を収めた。しかしナポレオンが補給を軽視していたわけではなく、アウステルリッツの会戦後には常設の補給部隊を創設し、補給の限界を超えた場合には現場力で現地徴発を組織的に行って賄っていた。ロシア遠征の際は事前に40万人の兵士と5万頭の馬匹を養う食料と輸送のための9,300輌の荷馬車を用意し遠征を開始したが、ロシアの劣悪な道路・河川の状況や補給部隊の組織的運用技術や財政能力の欠如によってナポレオンは敗北した。ロシア遠征は当時のフランスの国力を大きく超えたものであった。
20世紀の第一次世界大戦以降の近代戦においては動員される兵士の数も弾薬の投射量も大幅に増加し、前近代のように手持ちの弾薬で機動的な作戦を行い現地徴発で糧食を賄うことは不可能となった。また兵器も機械化されたため燃料や交換部品の必要性や、長期戦による衣類、薬品、条約に則った捕虜の後送の必要も生じた。このように近代の戦争が長期戦・大量消費と変化したため、戦闘機能を維持、増進させる補給・輸送はあらゆる作戦行動の心臓部となった。
第二次世界大戦のアメリカを例に取れば、1人の歩兵を一年間維持するには7~15トンの補給物資が必要であり、兵士が機械化されていれば燃料や部品などの補給物資も必要となった。補給には生産も含まれ、米陸軍は90万種以上のアイテムを民間に委託して補給物資を確保し、それらを毎日前線に輸送した。欧州方面には鉄道と2.5トントラック、太平洋方面には艦船が輸送に用いられ、太平洋地域では確実に補給を行うために20隻程度の護送船団が編成され、1人の歩兵を戦場で維持するためには18人で支える必要があるとされた。
18人の中には補給・輸送に携わる兵士だけでなく、後方連絡線を作る建設工兵、確保する兵士、兵站基地の運営、整備廠のスタッフ、司令部の命令を全体に伝え、前線のニーズを後方に伝える通信兵、組織の規範を守らせる憲兵や人事など多岐にわたる様々な役割があり、インフラのない戦地に兵士を送り込める機能を持つ。この機能を軍隊の自己完結性と言う。兵站とは戦場に社会機能を持ち込み、軍隊を戦える環境を作り出す組織、活動である。
近況報告
4月に入って2週間ちょっと、なんとか社会人をやっております。
3月末はちょくちょくブログの更新をしていたり
ニートンさんの動画編集を引き受けていたりと
パラサイトシングルの何が悪いのか?何が問題なのかを生産的に考える手段
哲学的なゲーム(RPG)クロノトリガー・ドラクエ6・FF7を哲学youtuberが語る
ネット社会にたっぷりどっぷりでしたが、社会人になってそういう時間がめっきり減り、ネットへのアクセス時間も減りました。
自らの時間であるはずの余暇でさえも次の日、次の週の労働のために自らの時間を削り、労働のために生活している感覚が強いです。
……改めて文字に起こすと何とも言えない憂鬱さを感じますね。あぁ、働きたくない。
今週末まで本社研修のためにホテルに連泊しているので、体力的にも結構しんどいものがあります。こういう環境の変化や夜型から朝型への生活の変化、生活習慣の変化がストレッサーとなって不適応を起こすのでしょうね。
社会人ってやっぱ大変だな~~~辞めたいな~~~辞めて海外で暮らしたいな~~~海外行ったことないけど~~~とか思う日々です。そんなわけでクローン病のくせにカレー欲が非常に高まっており、食べたらInstagramに投稿していたりします。
フォローしてね~という近況でした。
クラウゼヴィッツ 攻撃の極限点 勝利の極限点
攻撃の極限点
攻撃の極限点
(Culminating point of the attack, Kulminationspunkt der Angriffs)
攻撃による成功は、敵と比較して戦闘力が優勢にある時に得られる。
しかし攻撃側の戦闘力は漸次衰弱し、おおよその場合防御側の戦闘力の損害は攻撃を受けた直後が最も大きく、次第に回復する。攻撃側の戦闘力が衰弱し、防御側が回復することで戦闘力が均衡し、勝敗を覆す転換点がある。これをクラウゼヴィッツは「攻撃の極限点」と名付けた。
クラウゼヴィッツは攻撃力が衰弱する原因を5点挙げている。
①味方は占領地域の治安維持などに兵力を割き、敵は兵力を集結させるため。
占領した地域、特に戦略要点(要塞、港湾施設、鉄道、道路、都市、橋など、ケースによって異なるが、おおよその場合は交通の要所となる点)と呼ばれる箇所は味方の後方連絡線として利用するためにも敵に再奪取されないために十分な警備を行う必要が生じる。対して敵は敗残兵が敵本軍と合流し、敵の兵力は増加する。
②敵地は戦場の性質が変容するため。
敵の領土内での戦闘は全戦場が味方に対して敵対的性質を持つようになり、至る所に困難が生じる。民間人の反発やレジスタンス化、地雷などのトラップなどによって味方の活動は低下する。
③補給源から遠ざかるため。
敵領域に近づくほど補給源から遠ざかり、補給に負担が生じる。対して敵は自らの補給源に近づくことで補給の負担を軽減させる。
④第3国の介入のため。
敵国の友好国が介入する場合がある。
⑤勝利者の気の緩みのため。
敵側の抵抗力が高まり、全ての国民が武器を取ることもある。対して味方は勝利を重ねることで気が緩み、戦力は衰弱する。
これら5つの原因が第六篇攻撃の最後に補足として挙げられている。
利益と不利益は天秤のようになっており、味方に利があれば敵に不利益に、敵に利があれば味方に不利益となる。
攻撃者は勝利し、前進し続けることで次第に衰え、立場を危うくする。「攻撃の極限点」を見通すことは攻撃側の死活問題となる。
勝利の極限点
勝利の極限点
(Culminating point of victory, Kulminationspunkt der Sieges)
戦争それ自体にもまた攻撃と同様に勝利から敗北へと転じる転換点が存在する。これをクラウゼヴィッツは「勝利の極限点」と呼んだ。
戦略研究学会(2003)によると、1997年に合衆国海兵隊司令部が発行した『作戦術』(海上自衛隊仮訳)では「戦術的勝利が必ず戦略の成功を実現するとは限らない。すべての会戦に勝利を重ねつつも、戦争には敗れるといった事態も起こり得る可能性が存在する。戦略目標を達成できなければ、いかに勝利を重ねようとも徒労に終わってしまう。というのは軍事の最終目標は戦略的な成功を実現するための軍事的諸条件の作為であるからである。そのためにも戦術的な勝利を一体として総合化する作戦ないし戦略構想の枠組みが不可欠なのである。戦術的な勝利を無為に浪費することは、人命を無駄に喪失したことであり、許されるべきことではない。」という指摘がされていることを紹介している。
先に紹介した「攻撃の極限点」を攻勢側が迎えず、戦場での勝利を重ねていた場合であっても、戦争には負ける可能性がある。戦争に勝つための戦場での勝利が求められていることを理解せねばならず、目標からずれた戦闘は武器弾薬だけでなく、人命を無駄にすることとなるため、「勝利の極限点」を見通すことが国家の死活問題となる。
クラウゼヴィッツが攻撃の極限点と勝利の極限点を区分して考えるのも、戦争は「敵を強要してわれわれの意志を遂行させるために用いられる暴力行為」(クラウゼヴィッツ,1965,p18)であり、あくまで手段であるがゆえに戦争とその結果は絶対的なものではないという思考が根底に存在するためであると考えられる。
まとめ
- 戦闘の勝利と敗北の転換点→攻撃の極限点
- 戦争の勝利と敗北の転換点→勝利の極限点
参考文献
戦略研究学会・片岡徹也・福川秀樹(編)(2003)『戦略論体系・別巻 戦略・戦術用語辞典』芙蓉書房
クラウゼヴィッツ(1965)淡徳三郎(訳)『戦争論(現代人の古典シリーズ10)』徳間書店
片岡徹也(編)(2009)『軍事の事典』東京堂出版
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軍隊の階級制度について
一般的に近代の軍隊は命令系統や指揮権の円滑な移譲を可能にするために階級制度が取られている。ここでは主として終戦時の旧日本陸軍を基本として記述する。
階級は大きく分けて
・士官
・下士官
・兵
この3種に分類される。
士官はさらに3種に分類され、階級が上から将官、佐官、将校と区分され、主に作戦の立案や大部隊の指揮を執る。
将官は大将、中将、少将に分類される。
このクラスは牟田口廉也中将など、大きな作戦を統括している場合が多い。創作作品ではアームストロング少将など、方面軍の長を務めている。
佐官は大佐、中佐、少佐に分類される。
佐官では現場の統括官という面が強く、戦場も赴くことも後方の監督官をすることもあるなど職務は様々と言われている。
創作作品では攻殻機動隊の草薙素子や機動戦士ガンダムのシャア・アズナブルが挙げられ、シャアは一年戦争時に少佐から大佐に昇進している。
将校は大尉、中尉、少尉、准尉と分類される。
創作作品では機動戦士ガンダムの主人公アムロ・レイの1年戦争終結時階級が少尉である。先に述べたシャア・アズナブルに比べて昇進が遅いのは民間人であることもあるが、地球連邦軍という組織の硬直性にもあると考えられる。ちなみにホワイトベースの艦長ブライト・ノアが少尉であったにも関わらずコック長にタムラ中尉が搭乗していたのは戦時下の混乱という見方がある。
下士官は曹長、軍曹、伍長と区分され、主に小部隊(分隊や場合によっては小隊)を率いる実行部隊となる。
創作作品ではフルメタル・ジャケットに登場するハートマン軍曹やケロロ軍曹に登場するクルル曹長、ケロロ軍曹、ギロロ伍長が該当する。ケロロ軍曹ではケロロ軍曹率いるケロロ小隊の中にクルル曹長という隊長(軍曹)よりも高位の階級が部下となっており、職務遂行上の妨げとなる。これは後方からの何らかの意図(嫌がらせ?)があったのではないかと推察される。
兵は兵長、上等兵、一等兵、二等兵と区分され、主に下士官からの指示を実行する。
ゴールデンカムイに登場する人物は一兵卒などと表現されているが、昭和6年に行われた『陸軍兵等級表ニ関スル件・御署名原本・昭和六年・勅令第二七一号』によって兵卒から兵に名称が変更されている。
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F0000000000000032256&ID=&TYPE=&NO=
なおゴールデンカムイは時代設定が明治末期なので勅令には該当しないので問題はない。
このように軍隊には階級が存在するが、国や時代によって異なる。
外線作戦と内線作戦
外線作戦(Operation on exterior line)と内線作戦(Operation on interior line)
松村(1998)によると、『敵に対して外側の体制に立ち、戦略的に分散して敵に接近し、最終的に各部隊が一致協力して一つの戦場に集中的に攻撃する戦略を「外線作戦」と呼ぶ。
一方、二方向以上からくる外線作戦を行う敵に対して、戦力が合一しないように、それぞれの方面から接近してくる敵を、一部よって拘束しておき、主力をもって敵を一部隊ごとに各個に撃破する戦略的な作戦を「内線作戦」と呼ぶ。』とした。
戦略研究学会(2003)によると、大正12年(1923)陸軍大学校「兵語之解」では「『内線作戦』とは作戦軍が敵の作戦軍に対し、包囲、もしくは挟撃の位置関係にあって作戦することをいう。これに対して『外線作戦』とは敵の作戦群に対して被包囲、もしくは被挟撃の位置関係にあって作戦することをいう。」とし、昭和43年(1968)陸上幕僚総監部「用語集」では「敵に対して、我が背後連絡線を外方に保持して数方向から求心的に行う作戦を『外線作戦』といい、これに対して数方向の外方から求心的に我に向かって作戦を行なう敵に対し、我が背後連絡線を内方に保持して行なう作戦を『内線作戦』という。」と紹介している。
1219年チンギス・ハーン率いるモンゴル帝国が行ったホラズム・シャー朝征服の際に発生したサマルカンドの戦いが代表的な外線作戦として松村は挙げている。
モンゴル帝国チンギス・ハーンはホラズム・シャー朝征服のために22万の兵力を動員して首都サマルカンドを目指した。その際に集合して侵攻するのではなく、5つの部隊に分け、分散してオトラルやブハラ、ホジェンドを侵攻、包囲してサマルカンドを目指した。
モンゴル軍の攻撃の流れはこちらの動画へ。
このように敵を外側から包囲するように求心的に兵力を動かす、機動させるのが外線作戦と呼ばれる。
内線作戦は外側から包囲しようとする敵に対して、その包囲の中で戦うことである。サマルカンドの戦いではホラズム朝が内線作戦を行う側となっている。
内線作戦を行う軍の多くは包囲しようとする敵を遅滞させ、兵力を集中させることで各個撃破する戦術や、敵よりも早く軍を動かして分散した敵兵力を各個撃破する。
外線作戦により包囲されるという特性上、意図的に行われるというよりは行わざるを得ない状況で行うことが多い内線作戦であるが、ナポレオン・ボナパルトはあえて包囲されるように敵を欺き、内線作戦を意図的に行ったとされる。ナポレオンは基本戦術として「迅速な機動」と「敵を欺くこと」で敵軍の撃滅を行っていた。ナポレオンが内線作戦を意図的に行っていた理由としては、戦場を広く使う外線作戦と比べて味方との連絡が取りやすく、補給に必要な兵站線も外線作戦を行うより短くて済むため機動力を削る必要がないためであると考えられる。
参考文献
松村劭(1998)『戦争学』文藝春秋
戦略研究学会・片岡徹也・福川秀樹(編)(2003)『戦術論大系・別巻 戦略・戦術用語辞典』芙蓉書房
なんだかんだありまして
ご無沙汰しております。ごりゃーときんです。
ブログを忘れていたわけではなく、「あれ書こうかな」「これ書こうかな」と思い立っては書き始めて途中で放棄してしまう一番やっちゃいけないパターンを繰り返していたらこれほどの期間が空いてしまった次第であります。
【書こうと思っていたことリスト】
・伊勢神宮に参拝してきたのでそれに関すること
・モンキーセンターを見学してきたのでそれに関すること
・養老の瀧や地方に関すること
・簡単! それっぽく見える動画編集!(笑)
・松村 劭『戦争学』を読んだので内線作戦と外線作戦をまとめようかと
・バズっていたツイートに対して思っていたこと考えたこと
などなど。
更新しよう更新しようとしていたらいつの間にか大学も卒業し、今は配属先で一人暮らしをしております。猫のいない生活がこんなに寂しかったとは思いませんでしたね。絶賛ホームシック中です。
そういう喪失体験(まぁ猫も自分も生きていますが)は、時間が解決してくれるものだと信じてここ数日生活しております。
4月からは労働者となり、自らの持つ8時間と通勤時間2時間を資本家に売り渡します。とてもつらい。働きたくないでござる。通勤時間も拘束されるわけだから賃金発生させろ。
というわけですので更新頻度はさらに減る、もしくは極端に増すと思います。
これからもボチボチ更新していくのでよろしくお願いします。
エリア別コンビニの客層に関して
年末から別店舗にも勤務するようになりまして、いろいろと気づきがあったのでつらつらと書いていきます。
別店舗は出来て半年もない店舗なんですけれど、以前から勤務していた店舗からしたら非常に楽ですね。業務的な楽さがあるかどうかと聞かれれば日中の荷受け業務等が新店舗ではあるので楽ではないんですけれど、客の対応が非常に楽です。
ごりゃーときん「そちらのクーポンは当店ではご利用いただけません」
旧店舗「なんでよ! なんで使えないの!(しばらくごねる)」
新店舗「あらそうなの。じゃあこれで」
旧店舗ではしばらくごねる。ごねても結果は変わらないのにごねる。
ご「そちらの商品現在切らしておりまして」
旧店舗「なんでよ! なんで無いの!」
新店舗「あ、そう。じゃあこっちで」
上のクレームでもそうだが、「なんで?」と聞かれて理由を説明しても納得されることは決してない。新店舗では理由を説明したら納得してくださる“お客様”しかいない。
ご「ありがとうございました」
旧店舗「(無言で奪うように立ち去る)」
新店舗「ありがとねー」
この一言で救われる感じがする。承認欲求が満たされる。
職業。
栄誉の魅力というのは、それをどんなものと結びつけても、たとえ死とであっても、人がそれを好むほどに大きいものである。
と指摘されるほど職業において承認欲求は重要なものである。
ご「ほかのお客様と違う対応をするわけには…」
旧店舗「は? なんでよ」
新店舗「(そもそもそんなクレームが入らない)」
旧店舗では特別扱いしてもらって値引きなどのサービスを受けようとする人がたまにいる。何度「お客様は神様だろ!」という言葉を聞いたことか。
ご「こちらのクレジットカードはご利用いただけません」
旧店舗「なんでよ!」
新店舗「あ、ごめん。利用期限切れていたわ~ごめんね~」
おそらく限度額や支払いに遅延が生じていたりすると利用が止められる仕組みになっている(レジの情報からでは明確に判断されるものではないが)。新店舗のほうではそれは見たことがない。新店舗はクレジットカードや電子マネーによる支払いが多く、現金での売り上げは旧店舗のほうが20万円ほど高い。
色々と要因を考えてみたんですけれど、新店舗の周りには古くからの地主さんが多く、地主さんが運営しているワンルームマンションも多かったりで生活が安定している人々や、移住してきた若い人が多いエリアになるんですよね。対して旧店舗の周りには生活保護者が多いエリアがあったりして収入がそれほど高くないエリアなんですよ。こういうところからモラールの違いが生じるんでしょうか。
こんな話を広げたら新潮とか文春新書あたりから「移住先はコンビニで選べ」みたいな新書がありそうですよね。
第一章「コンビニからみる社会現象」の第二節「エリア収入におけるコンビニのモラールについて」みたいに解説がされてそう。だれか書いて。引用文献に入れて。
“A店で報告されたクレームでは店舗で対応不可能なクレームが目立つが、B店では店舗で対応不可能なクレームは一切ない(複数の店長から報告されているため、報告書の差はないとする)。調べてみるとA店周辺のエリアとB店周辺のエリアを比較した場合、B店のほうが収入が高く、犯罪発生率も低いということが分かった”みたいな感じの文章が入っていそうですよね。
労働は業務だけではなく、その周辺の環境によって“やりがい”が変わってくるものでして、離職率の高い職場は仕事がキツく、尚且つそういう承認欲求を満たせない職場だと思うんですよね。せめてどちらかが満たすことができれば~~と思うんですけれど、求人広告に「やりがいがあって~~」とか掲載したらあっという間にブラックな求人広告に早変わりするので何か考える必要がありそうな気がします。