革命的悪文日記

ネコに飼われている学生が悪文で色々書いています

“万国のプロレタリア団結せよ!”

“万国のプロレタリア団結せよ!”

“万国のプロレタリア団結せよ!”(Karl Marx,Friedrich Engels,1848,大内兵衛向坂逸郎訳,1951,岩波文庫)はマルクス・エンゲルスが1848年に書いた『共産党宣言』の締めの言葉です。訳によっては“万国の労働者団結せよ”だったりします。
この言葉は出版から170年、ソ連が消滅し、社会主義キューバがアメリカと国交を回復させた現代2018年にも通じる言葉であると思います。


共産党宣言』とは?

そもそも『共産党宣言』とはマルクス主義共産党の行動の基盤となる綱領として出版され「支配階級を強い力で転覆させて俺たちが支配のない新しい社会を作ろうぜ!」といった旨の書籍なのですが、それまで宣言の中で暴力路線も辞さなかったマルクスらは締めの言葉で闘争や暴力を謳うことなく“団結”という言葉を使いました。“団結”というのは電車で隣になった人に対して「今日も共に頑張ろう」と言い手を差し出すなどという愛のある行動です。これはすぐにでも行動に移せる言葉であり、武器や気概を持っていないと行えない暴力とは異なりおおよそすべてのプロレタリア(自らの労働力を資本家に売って生活する賃金労働者)階級にとって実行可能な行動規範です。

このように、極めて革新的な綱領『共産党宣言』の終わりはプロレタリア同士による愛によって締められています。この言葉は現代に蘇るべきであるマルクスらの教えです。



労働搾取の問題

最近(今に始まった話ではありませんが)はコンビニ店員に対する態度の悪さが自分は気になります。自分もアルバイトで接客をしていると、相手側はかなり横柄に出てきて、ほかの客とは異なる特別待遇を望む人がいます。そういう人は客とは呼ばず、自己利益最優先の“資本家の兄弟”のような人間であると考えています。コンビニ店員やそれに類するサービス業に従事する労働者に対して、チップなどの賃金を支払わず無理強いや無茶な要求、過大な要求を行うことは、労働を搾取する行為であって、自らの利益を最優先し、利益をより大きなものとしようとする資本家の真似をした労働者です。労働者が労働者を搾取している構図です。本来、マルクス主義が目指した社会主義とは、搾取のない世界、つまりゲバラの言う『人間の人間による搾取の撤廃』を作りあげることです。これは資本家の労働者への搾取だけでなく、労働者の労働者への搾取も含まれ、あらゆる搾取を根絶することがマルクス主義の理想でした。しかし実際にはどうでしょう。

「コーヒー手渡しやってる暇ない」コンビニ人手不足で店員の仕事量増加、やりがいも乏しく 

この記事のタイトルでは、「仕事量の多さ」、「やりがいのなさ」が問題として出されていますが、本文中にはこのようなことが書かれています。
ベテランの藤田さんの店では、イヤホンつけたまま、電話しながら、レジに並ぶ客も少なくないという。「単に、モラルが下がっているだけかもしれませんが、利便性・効率性を追求した結果、コンビニ店員は『誰でもできる仕事』となり、そして『雑にあつかっていい存在』と、軽くあつかわれていると思います」(藤田さん)

「誰にでもできる仕事」であったら雑に扱うものなのでしょうか。自分はこの考え方を否定します。


「誰にでもできる仕事」とは

そもそもこの世には「誰にもできない仕事」はあったとしても、「彼にしかできない仕事」というのはデザイナーや音楽家などのごくごく限られた職業にのみしか存在せず、おおよその労働者は代替可能な存在です。もし代替不可能な存在であれば、古くからある企業が継続して経営していくことや、職場内での労働者の世代交代が行われないということになります。これらのことが行われているからこそ結局は労働者は代替可能な機械の部品のような存在であり、「誰にでもできる仕事」というのは職業全般に言えることであり、誰かの労働によって生活が成り立っている社会において雑に扱ってもいいという理由にはならないと思います。


それはモラルの低下なのか?

また、本文中ではイヤホンなどを付けたままレジに来る行為を“モラルの低下”と言っていますが、これは相手への敬意の喪失であり、相手への適切なリターンを与えない搾取の一部であると考えます。敬意とは一般に目上の人間に対して払われるものでありますが、これは生活が誰かの労働によって成り立つ社会においては、あらゆる労働に従事する人々に対して払われるべきであると思います。



そこで共産党宣言に立ち返る

そこでこの記事のタイトル『万国のプロレタリア団結せよ!』を思い出してください。労働者同士が愛をもって手を取り合う。つまり労働者同士が対等な存在となり、互いにリスペクトし合う……そんな誰もが幸せに、楽になれる社会を作りたい、作るべきであるとは思いませんか?


マルクスの言葉は現代日本にも生きていて、実践するべき言葉です。