革命的悪文日記

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外線作戦と内線作戦

外線作戦(Operation on exterior line)と内線作戦(Operation on interior line)

 

 松村(1998)によると、『敵に対して外側の体制に立ち、戦略的に分散して敵に接近し、最終的に各部隊が一致協力して一つの戦場に集中的に攻撃する戦略を「外線作戦」と呼ぶ。
 一方、二方向以上からくる外線作戦を行う敵に対して、戦力が合一しないように、それぞれの方面から接近してくる敵を、一部よって拘束しておき、主力をもって敵を一部隊ごとに各個に撃破する戦略的な作戦を「内線作戦」と呼ぶ。』とした。

 戦略研究学会(2003)によると、大正12年(1923)陸軍大学校「兵語之解」では「『内線作戦』とは作戦軍が敵の作戦軍に対し、包囲、もしくは挟撃の位置関係にあって作戦することをいう。これに対して『外線作戦』とは敵の作戦群に対して被包囲、もしくは被挟撃の位置関係にあって作戦することをいう。」とし、昭和43年(1968)陸上幕僚総監部「用語集」では「敵に対して、我が背後連絡線を外方に保持して数方向から求心的に行う作戦を『外線作戦』といい、これに対して数方向の外方から求心的に我に向かって作戦を行なう敵に対し、我が背後連絡線を内方に保持して行なう作戦を『内線作戦』という。」と紹介している。

 


 1219年チンギス・ハーン率いるモンゴル帝国が行ったホラズム・シャー朝征服の際に発生したサマルカンドの戦いが代表的な外線作戦として松村は挙げている。
 モンゴル帝国チンギス・ハーンはホラズム・シャー朝征服のために22万の兵力を動員して首都サマルカンドを目指した。その際に集合して侵攻するのではなく、5つの部隊に分け、分散してオトラルやブハラ、ホジェンドを侵攻、包囲してサマルカンドを目指した。

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サマルカンドの戦い

 モンゴル軍の攻撃の流れはこちらの動画へ。


世界の戦い!奇策!戦術!【インダス河の戦い】ゆっくり解説

 このように敵を外側から包囲するように求心的に兵力を動かす、機動させるのが外線作戦と呼ばれる。

 内線作戦は外側から包囲しようとする敵に対して、その包囲の中で戦うことである。サマルカンドの戦いではホラズム朝が内線作戦を行う側となっている。
 内線作戦を行う軍の多くは包囲しようとする敵を遅滞させ、兵力を集中させることで各個撃破する戦術や、敵よりも早く軍を動かして分散した敵兵力を各個撃破する。
 外線作戦により包囲されるという特性上、意図的に行われるというよりは行わざるを得ない状況で行うことが多い内線作戦であるが、ナポレオン・ボナパルトはあえて包囲されるように敵を欺き、内線作戦を意図的に行ったとされる。ナポレオンは基本戦術として「迅速な機動」と「敵を欺くこと」で敵軍の撃滅を行っていた。ナポレオンが内線作戦を意図的に行っていた理由としては、戦場を広く使う外線作戦と比べて味方との連絡が取りやすく、補給に必要な兵站線も外線作戦を行うより短くて済むため機動力を削る必要がないためであると考えられる。

 

参考文献
松村劭(1998)『戦争学』文藝春秋
戦略研究学会・片岡徹也・福川秀樹(編)(2003)『戦術論大系・別巻 戦略・戦術用語辞典』芙蓉書房