「自分で考えろ」の不毛性
「自分で考えろ」という言葉はとても不毛であると思います。
人間の利点は言語を用いたコミュニケーションによって自らやその上の世代の経験を他者へフィードバックして発展できる点にあります。それを「自分で考えろ」という一言で経験を断ち切ることは、それまで積み重ねられたものを無に帰す行為であります。
中国産スズメバチが九州に侵入 在来種、環境を守りながら繰り広げる攻防戦
ニホンミツバチは長い時間をかけて進化し"蜂球"という戦法を身につけましたが、人間はハチのような世代を跨いだ進化ではなく、言語を用いて同世代でも経験の共有ができます。そのような能力を人間が身に着けているからこそ、毒に対しての耐性を持たないのにフグを食べることができるようになりました。本もまた言語による知識の共有ができるからこそ生まれた文化であります。
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ニホンミツバチは長い時間をかけて進化し"蜂球"という戦法を身につけましたが、人間はハチのような世代を跨いだ進化ではなく、言語を用いて同世代でも経験の共有ができます。そのような能力を人間が身に着けているからこそ、毒に対しての耐性を持たないのにフグを食べることができるようになりました。本もまた言語による知識の共有ができるからこそ生まれた文化であります。
人間の利点は言葉による経験の共有のできる点にあるため、「自分で考えろ」と言ってそれら積み上げてきたものを無に帰す行為は非効率的であると思います。