革命的悪文日記

ネコに飼われている学生が悪文で色々書いています

ダーリン・イン・ザ・フランキス 感想

ご無沙汰しております。ごりゃーときんです。
今日は孫子ではなくダーリン・イン・ザ・フランキスの感想的なサムシングを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダリフラァ! なんだあの終わり方は!
1万年と2千年前から愛してたってか!!!!
視聴者が求めていたのは熱いバトルなんだよ!!
覚醒してVIRMを倒したのはいいけど、倒し方もっと何かあったでしょう!!
赤くなったストレリチアとかあったじゃん!!
半年使ってあの終わり方は鉄血の再来だよ!!

あの終わり方には納得いっておりません。20話くらいまでめっちゃよかったのに風呂敷を広げすぎて伏線回収して切れてない感が否めないっす。

大きくなったゼロツー(ストレリチア・真・アパス)の中にヒロが乗ってやっとタイトルのダーリン・イン・ザ・フランキスを回収したのはいいんですけど、あのデザイン(ウエディングドレスにブーケは分かるんですけど顔は……)と時間経過、どうにかならなかったんですかね…確かに地球でココロの出産があったりアイ(ミツルとココロの子供)がゼロツーと交信イベントがあるとは言え、いきなり2年が経過してたりするのは笑います。あとみんなが石化したゼロツーと手をつないで空に向かって念じているシーンはどうみてもベントラーベントラー。UFOでも呼ぶのかと。

ラストバトル後のVIRMの提案では、「肉体は魂の牢獄」というプラトンの言葉を仏教的に解釈し、魂を生も死も苦しみもない境地へ誘った(阿弥陀如来のようなあらゆるものの救済)にも関わらず、それを拒否してヒロとゼロツーは輪廻転生をして生老病死愛別離苦怨憎会苦求不得苦五蘊盛苦の四苦八苦の道を選んだのは、仏(のような存在によって)救済されるよりも人間の愛の力のほうが勝る(=二人でなら苦難を乗り越えられる)ということだったのでしょうかね。

ラストの桜の木での再会は、白居易の「長恨歌」の

臨別殷勤重寄詞、詞中有誓兩心知
別れに際し、ていねいに重ねて言葉を寄せた。その中に、王と彼女の二人だけにわかる誓いの言葉があった。
七月七日長生殿、夜半無人私語時
それは七月七日の長生殿、誰もいない真夜中に親しく語り合った時の言葉だった。
在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝
天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう、と。
天長地久有時盡、此恨綿綿無盡期
天地は悠久といえどもいつかは尽きることもある。でもこの悲しみは綿々と続いて尽きる時はこないだろう。

からですね。最終回も7月7日の真夜中だったし。

長恨歌の解説はこちらから

「比翼の鳥」と「連理の枝」の由来

 

戦国時代、宋の国の大臣・韓凭(かんひょう)と夫人の何氏は仲睦まじい夫婦であった。ところが、酒色に溺れ非道であった宋の国王・康王は、何氏の美貌が気に入り、韓凭を監禁してしまった。

 何氏は密かに夫に手紙を書き、「雨が降り続き、川の水かさが深くなっています。出かける時は気をつけてください」と記した。ところが、この手紙は康王の手中に落ち、夫の元には届かなかった。実は、これは何氏の絶命詩で、「出かける時は気をつけてください」(原文:日出当心)は、自ら命を絶つ覚悟を表していたのである。果たして、何氏は、康王に付き添って出かけた際に高台から飛び降りて自殺した。一方、夫の韓凭も間もなく愛する妻のために命を絶った。

 康王は激怒し、この二人を同じお墓には入れず、わざとすぐそばに別々に埋葬した。お互いがすぐそばにいるにもかかわらず、いつまでも一緒になれない辛さを味わわせるためであった。ところが、なんと数日後には二つのお墓から木が生え、枝と葉が抱き合うように絡み合い、根もつながってからみついた。そして、その木の上ではつがいの鳥が何とも物悲しい声でさえずりあっていたのである。

比翼の鳥に始まって連理の枝(桜の樹)で終わり、二人は輪廻転生を得て次の物語へ――

 

うーん、何とも言えない終わり方です。序盤からすごく考えられていた世界観だったのに、宇宙に行ったあたりから世界観が薄っぺらくなって「生まれ変わっても一緒だよ」エンドはなんだかすごくもったいない感じがしてしまいます……